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宝物

鶴岡八幡宮に伝わる、国宝をはじめとした古神宝類などをご紹介いたします。

太刀 銘 正恒 | 一口(たち めい まさつね | ひとくち)

これは備中青江鍛冶系の正恒による鎌倉時代の作であり、腰反り高く踏張りあり小切先となる優美にして品格のある姿である。備中古青江正恒の最高傑作であり、また古青江の中でも最高との評価が高い。保存状態も極めて良好である。備中古青江はこの太刀の素晴らしさにより、その名を高く残しているとも言われる。
この太刀は享保の改革を遂行した幕府中興の英主、徳川八代将軍吉宗が、元文元年(1736)の当宮修理造営に際し奉納した物である。
家康の修営以来、幕府により幾度か修造が繰り返されてきたことから、武家の守護神たる八幡宮への徳川歴代将軍の崇敬の篤さを窺い知ることができる。さらには、源頼朝公が武家の魂の拠り所として鶴岡八幡宮を祀り崇敬の誠を捧げたその精神を、徳川将軍家も受け継いでいったことが、正恒以下の太刀から読み取ることができる。

黒漆矢 | 三十隻のうち三隻(くろうるしのや | さんじゅっせきのうちさんせき)

古神宝類の一つ。鏑矢13隻、尖矢13隻、丸根4隻、計30隻で2腰分と考えられる。黒漆塗で矢羽は茶紫の斑入りの白羽。当初より奉納用に作られたと推測される。『集古十種』所載の尖矢図は矢羽を欠しているから後補と考えらる。正月に授与される破魔矢の起源である。

朱漆弓(しゅうるしのゆみ)

檀の木で造られた約2のメートル弓で、全体に朱漆が塗られ両端には金銅製の弭が嵌められている。握部下には樋(くぼみ)を彫っている。『新編相模風土記稿』には「弓一張 源頼義当社勧請の時、石清水の神宝たりしを申し下して奉納すると言ひ伝ふ。元は二張あり。上下両宮に蔵せしが、文化四年火災の時、一張烏有す。」とみえる。

沃懸地杏葉螺鈿平胡録 | 二腰のうち一腰(いかけじぎょうようらでんひらやなぐい | ふたこしのうちひとこし)

胡録(やなぐい)とは、いわゆる矢立てのことで、腰につけて携帯するための道具。外面は金沃懸地塗という蒔絵の手法を用いており、杏葉文の螺鈿を施す。内部は黒漆塗。16枚綴りの薄い矢配板をいれている。周囲には金銅の覆輪をめぐらし、ふち寄りに矢束・受緒・懸緒通しの孔をあけ、鍍金の 菊座付きの鵐目金具を打ち、紫染韋の折りたたみ紐を通している。『新編相模風土記稿』には「平胡籙二口 二口共製作同くして一口には矢十五筋を盛る。是も弓と同く頼義の奉納と云。」と伝える。

沃懸地杏葉螺鈿太刀 | 二口のうち一口(いかげじぎょうようらでんたち | ふたくちのうちひとくち)

一般には「衛府(えふ)の太刀」という名でよく知られている。柄には銀出鮫(銀の薄板を打ち出して鮫皮状にしたもの)を着せ、四つ花形の目貫をすえ、佩表には俵鋲、佩裏には小桜鋲をそれぞれ4個づつ打っている。これら目貫や鋲をはじめとした金具類はいずれも金銅無文である。帯取、佩緒、手抜緒などは、細かい菊文白抜きの紅韋(べにがわ)をもって後補している。鞘は金沃懸地に螺鈿で杏葉文を配する。二口ともほとんど同寸、同形、意匠や技法も同様だが、一振は鐔などが後補。太刀の身はどちらも無銘。『新編相模風土記稿』には「二振は衛府太刀」とあり、「頼朝の帯せし物と云ふ」と伝える。

御神服【袿】 | 五領(ごしんぷく【うちき】ごりょう)

白小葵地鳳凰文二重織、紫地向鶴三盛丸文唐織(二領)、淡香地幸菱文綾織、黄地窠霰文二重織 の計五領。社伝では、後白河法皇が神前に奉献したとも、亀山上皇が蒙古襲来の際に国家の安寧を祈願し調進したとも伝える。これら御神服は、通常の衣服より大ぶりであるが、これは御祭神の御料であるからで、通常の大きさより約2割方大きく仕立てられている。特に「白小葵地鳳凰文二重織」は表着であるため精巧に調整されており、現存する衣類ではほかに類をみない貴重なものである。

籬菊螺鈿蒔絵硯箱 | 一合(まがききくらでんまきえすずりばこ | いちごう)

社伝によると、源頼朝公が後白河法皇より下賜されたものを、鶴岡八幡宮に奉納したとされている。沃懸地に螺鈿で籬に菊、そして小鳥をあらわした蓋表。蓋裏と身はこれと同意匠を梨子地に金研出蒔絵という簡潔な技法で施している。内部には、中央に銀製鍍金の堤手、注口付きの角形水滴と硯を置き、その左右には銀覆輪(ぎんふくりん)付きの浅い懸子(かけご)が納められている。
また、箱すべての縁に銀製の覆輪をつけて置口としている。これらから判断して鎌倉時代前期蒔絵、螺鈿の代表的作品であり、また数少ない硯箱としても貴重な品である。