宝物
重要文化財北条氏綱奉納太刀3口
北条氏綱奉納太刀3口イメージ
北条氏綱奉納太刀3口イメージ
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北条氏綱奉納の太刀(3口)は、黒地金蒔絵桐鳳凰模様の拵と共に伝存し、各々の太刀に「奉納八幡宮御宝殿、北条左京大夫平氏綱、天文七戊戌年八月二日、所願成就、皆命満足」とあり、また「相州住綱廣作」・「綱家作」・「康國作」と作者も銘記されている。刀剣史上、室町期の太刀様式を知る上で貴重な資料といわれる。

奉納者が氏綱で、3人の作者がいる訳だが、厳密には当時の相州鍛冶の総領的地位にあった綱広が命ぜられて、綱広の推挙で綱家・康國も共々に作製に励んだという事である。綱広は正広という名であったが、この太刀献上の恩賞で氏綱の綱の字を授けられ、綱広と改名したと伝えられている。

鶴岡八幡宮の歴史は、源頼義(平安時代末期)にまで遡り、源頼朝公により現在の地に奉遷されたのである。源氏三代を経て、その後の北条氏執権期・足利・後北条・豊臣・徳川の各氏も終始変わることなく崇敬の誠を寄せてきたのである。明治維新以降も明治天皇の御親拝を仰ぎ、太刀(銘國吉・重文)一口も御奉納遊ばされ、多くの国民の参拝する神社の1つに数えられている。創建以来、八幡宮は朝野の崇敬を連綿として受け、今日に至っているのである。

氏綱は後北条氏(本姓は伊勢氏)の時代の人物で、初代早雲の子である。時は戦国時代で、小田原を拠点として氏綱の時代に関東南部を統治したのであった。

北条氏執権期の「御成敗式目」第一条に「神社を修理し、祭祀を専らにすべき事」とあり、それは源頼朝公の方針を受け継いだものであり、時をへだてて氏綱にも引継がれたのであった。すなわち、氏綱は太刀の奉納だけではなく、八幡宮の社殿の再建にも尽力したのである。それは天文元年(1532)より天文9年(1540)まで8年あまりの歳月をかけて行われたのである。

氏綱は社殿完成の翌年、天文10年(1541)に没し、まさに生涯をかけての八幡宮造営事業であった。その精神は子の氏康に受継がれ、多くの社寺の修理・再興がなされた。それは後北条氏の最盛期でもあったのである。

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