宝物
重要文化財木造弁才天座像1躯
木造弁才天座像イメージ わが国の弁才天信仰は、奈良時代に始まり『金光明最勝王経』には仏教の護法神の一つとして説かれる。鎌倉時代以降は、弁財天とも記され福徳の神として尊信され後には七福神に加えられ広く親しまれ信仰されている。今日でも弁才天を祀る社寺の多くは、河川・海浜など水辺に位置するが、これは弁才天本来の河神的性格を受けついだものといえよう。

像の姿は『金光明最勝王経』を典拠とする八臂像は、弓・刀・斧・羂索・箭・三鈷戟・独鈷杵・輪をもつ。宇賀弁天も八臂であるが頭上に老人(宇賀神)の顔を載せさらに鳥居を付すものもある。二臂像は胎蔵界曼陀羅に描かれており、琵琶をもち技芸・福徳神的な性格が顕著である。

鶴岡八幡宮の像は裸形に腰布1枚を彫出し、足をくずして横に座り、実物の衣装をつけ、琵琶をひく姿である。寄木造り。極めて写実的であり、女性的なふくよかさの中に格調の高さと重厚さが表現されている。

右脚裏に「文永三年丙寅九月廿九日/始造立之奉安置舞樂院/從五位下行左近衛將監中原朝臣光氏」と刻銘がある。
この像が文永3年(1266)9月29日に舞楽院に安置されたこと、その際の願主が中原光氏であることがわかる。
中原光氏は『吾妻鏡』によると文永2年3月4日、前日の鶴岡八幡宮の法会舞楽をひき移して将軍御所で童舞が催されたおり光氏が賀殿を演奏して五衣を給わったことが知られるなど、当時の名有る鶴岡楽所の伶人であった。

なお、中原光氏の事跡は、ほかに『鶴岡八幡宮寺社務職次第』・『鶴岡八幡宮遷宮記』などにもみえ、逗子市神武寺の石造弥勒菩薩像の光背銘には「大唐高麗舞師/本朝神楽博士/從五位上行/左近衛將監/中原光氏行年七十三/正應三年庚寅/九月五日」とある。正応3年(1290)に73歳で歿したことからすると、弁才天坐像造立は49歳のことであった。

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