宝物
重要文化財舞楽面5面
舞楽が我が国に伝来したのは古く上代に遡る。中国およびその周辺から渡来した新羅楽・百済楽・高麗楽・唐楽などに日本在来の久米舞・筑紫舞などが加えられ、雅楽として整理、集大成されたもので、平安朝には宮中の節会や社寺の祭礼、法会で盛んに演ぜられた。鶴岡八幡宮には、5面の舞楽面(陵王・貴徳鯉口・貴徳番子・散手・二ノ舞 咲)と1面の菩薩面が現存している。

『新編相模国風土記稿』によると「舞面七枚、何れも古色にして妙作なり、元は三十三枚ありしが、回禄に罹りて、十六枚は烏有す」とあり、また『集古十種』には「相模国鎌倉八幡宮蔵面図」として舞楽面20面、菩薩面3面の図が載せられている。

つまり当初は33面あったことが知られるが、そのうち菩薩面は『集古十種』の註記によって、もと12面あったことがわかるので、差し引き21面の舞楽面が存在したと考えられる。

鶴岡八幡宮における舞楽の歴史は、『吾妻鏡』や『鶴岡社務記録』、『鶴岡八幡宮社務職次第』などにみえるが、それらによると、文治5年(1189)3月3日、鶴岡若宮で源頼朝公臨席のもとに初めて法会が行われ、流鏑馬のほかに舞楽、相撲などが催されたことが知られる。
当初の頃は伊豆山や箱根の児童による童舞であったが、のち鶴岡専属の舞童が養成されることになり、建久4年(1193)には別当・供僧の門弟や御所侍の子息等が選ばれ奉仕したことも知りうる。
更に、このころ八幡宮に楽所が設置され、狛盛光が左一者、多景節が右一者に任ぜられ、以後楽所の伶人の手で本格的な舞楽もたびたび執り行われたと思われる。

今日では、5月5日の菖蒲祭で東京楽所奉納による舞楽が演ぜられる。鎌倉期の盛大な舞楽の様子が彷彿とさせられる。
陵王面イメージ 貴徳鯉口面イメージ
陵王 (りょうおう) 貴徳鯉口 (きとくこいぐち)
貴徳番子 二ノ舞 咲
貴徳番子 (きとくばんず) 二ノ舞 咲 (にのまいえみ)
散手
散手 (さんじゅ)

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