歴史のはなし〜 鎌倉人物志
北条泰時
義時は鎌倉幕府第二代の執権。父時政の第2子として生まれ、兄の戦死に伴い嫡子になりました。

治承4年(1180)の源頼朝公の挙兵に一族で参加し、次第に頼朝公の深い信頼を得るに至りました。武士としての武勇・軍略よりは政略・軍政に秀でた義時は頼朝公の補佐役として幅広く活躍し、ほかの御家人達とは一線を画す存在でした。

頼朝公の没後は、時政とともに北条氏の権力強化に努め、ライバルたりうる比企能員や畠山重忠・和田義盛といった有力御家人を次々と挑発、粛清していきます。この間の義時の優れた手法・怜悧な頭脳が後世、彼のことを往々にして冷酷非道な人物と評される原因となったことは否めません。

義時の人生最大の危機は承久3年(1221)に勃発した承久の乱です。三代将軍源実朝公も倒れて亡く、頼朝公以来の関東の結束も崩れる可能性がありました。大江広元の献策を入れ気丈の姉政子とともにこの内戦で勝利を得た義時は、北条家と鎌倉の安泰をほぼ見届けて62歳で亡くなりました。墓は頼朝公の葬られた法華堂(現大蔵白旗神社)の傍にあったとされますが、今はいづこにあるか定かではありません。

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