歴史のはなし〜 鎌倉人物志
北条泰時
御成敗式目イメージ
御成敗式目イメージ
鎌倉幕府第三代執権。
北条義時の長子として生まれた泰時は幼時より恥明で源頼朝公の信任も厚く、元服した翌年には鶴岡八幡宮の流鏑馬の射手を努めています。青壮年期にかけて和田合戦(有力御家人和田義盛一族と北条氏の戦い)や承久3年(1221)の承久の乱といった争乱を自ら戦ったことが後に泰時を大政冶家たらしめる一因となりました。

泰時の業績は多くありますが、武家の為の最初の法典である『御成敗式目』(別名『貞永式目』)を制定、武士の在り方や頼朝公以来の先例を基準に公正・迅速な裁判を可能にしたのはその中の筆頭に挙げられます。
泰時の時代は鎌倉の黄金時代ですが、これは泰時の器量や資質に依るところが大きかったといえます。

泰時は60才で亡くなり、当時は栗船御堂と呼ばれた常楽寺(現鎌倉市大船)に葬られました。清廉実直な人柄と公平な態度を貫いた泰時は多くの人にその死を惜しまれ、後代になっても説話や史論の中に於て高く評価されています。

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