歴史のはなし〜 鎌倉人物志
北条時宗
北条時宗イメージ 時宗は元寇を処した第八代の執権。父時頼の第2子として生れ、得宗家の正嫡として育てられ、元服して相模太郎と称しました。幼い時から武芸に秀で、果敢な性格でした。

この頃は得宗家(北条家嫡流)の権力が次第に増しつつあるなか、他の御家人との調整が難しい状態でした。

文永5年(1268)以降、蒙古より脅迫的な内容の国書が再三届けられるに及び、時宗は九州地方の御家人に沿岸の防備と異国警備を指示、抗戦の意を決しました。文永11年(1274)と弘安4年(1281)の2回蒙古の大軍による攻撃にさらされましたが、武士団が苦戦を強いられつつ健闘したことでこれを撃退、未曾有の国難を乗り切ることに成功しました。頼山陽は時宗の不屈の態度を称賛し、「相模太郎胆甕の如し」と評しています。

時宗擬宝珠イメージ 内政に於て反得宗の潮流に乗じようとした庶兄時輔を討ち、名越流北条家を粛清するなど強硬な政策を堅持した時宗ですが、内心葛藤があったことは必至です。禅宗に深く帰依し、宋から招いた無学祖元に師事して円覚寺を開いています。

生涯を全力で駆け抜けた感のある時宗は、病を得て僅34才で亡くなりました。墓は円覚寺の仏日庵に残っていて、今も多くの人が訪ねます。

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